天地人
2009.11.24 Tue
学生趣味と言われながらも、あたたかい・かるい・手触りが良いを基準に選ぶと結局定番、オンワードのカシミヤコートを購入。てざわりと体色がロシアンブルーみたいなところが気入る。これで越冬できますよ・・・。でも月曜日は暑かった。体温調節が難しい。
【天地人】
歴史の意義は過去の自分を知ること。自分がこの悠久のなかでは個の存在ではなく、すべてのなかに混沌と 存在していると云うことを知ること。私の骨も、あの人の骨も、この日本国の礎なのだと知ること。この小さな骨もいつか歴史になる。時間のながれをかんじるものが好きなのは、そう云う小さな骨の記憶がそこに在るから。人ひとりがいちどの生にもてる時間はどれくらいなのだろう。直江兼続の時間はあまりにもおもくてふかくて、果てしない、けれど、兼続だけが特別なのではなくて、死んだ者も、名もなき者も、もてる時間は等しく在るのだと、思う。兼続も三成も、雑兵も足軽も、すべての骨の記憶で、今、この国は在る。
最終章の福島正則の姿は衝撃でした。バカだから。三成が処刑されるときになってはじめて豊臣家を命をかけて想っていたのは三成であったことに気付き、最後の夜、月を肴に三成と盃を交わしたその姿はそのまま徳川の世になっても変わることなく、それ故に苦しむ。同じ想いを抱いていたのに、気付かなかった正則、ほんとバカ。バカだよお前。なんてかわいそうなバカなんだ。大阪の陣で家康に縋るも、お家大事なら逆らうな、と一蹴されるその姿はバカゆえに哀れでせつなかった。太閤殿下申し訳ありませぬ、西にむかって額を地にすりつける姿が天地人・福島正則の最後の姿でありました。
千姫は豊臣政権最期の星。武者姿で千姫に「生きよ!」と叱る茶々と秀頼は炎のなかに失えてゆく。幸村は千姫に豊臣のすべてを託し、彼女を井戸のなかに隠すと、荒狂う戦火のなかへとむかう。幸村からの遺言を受取った兼続は崩壊した大阪城の焼跡のなか、千姫を救出する。徳川家に戻った千姫は、家康の手を払いのけ、家康に激昂する。「私を救ってくれたのは直江兼続です!」「・・・いいえ、わたくしは千姫様を焼跡のなかから連れて参っただけ、千姫様を救ったのは、豊臣家の方々と、真田幸村です、」「わたくしは、おじいさまを生涯、許しません!」
天下を手に入れた家康、息子と孫の愛は得ることが出来なかったと、臨終につぶやく、しかし、家康はそれで満足であったのだろうなあ、と思う。最期の最期まで、なにが真実の言葉でほんとうの心の在処がどこに在るのか解らなかった家康。ここまで家康が得体の知れない怪人として描かれたものをはじめてみた。けれどこれが家康のまことの姿であったのではなかろうか。600年ものあいだ、世を支配した徳川家の始祖が常人であるわけがない。家康め、と人に憎ませる、それこそが家康に対する正当な評価だったのかもしれない、と、いま思う。やはり、侮れない爺さんだ。
あれを恋と言わずして何と言うのだろう。愛よりも清々しくこの世のものでないような、強く気貴い、星に運命られたふたり、景勝と兼続。主従でも兄弟でも恋人でもない、星と星のつながり、ふたりのあいだにあるものははるか時の彼方に在る何か。ふたりを飾る言葉は、まだこの世に生まれていないのではなかろうか。しっくりする言葉が見つかりません。
伊達政宗のツンデレは最期まですさまじかった。
関ヶ原物語では石田三成が主人公ジャック。私の三成への好意はKOEIの陰謀でも何でもない、好きにならないなんてうそ。誇りと生への執念がおなじ魂に存在している、その人を好きにならない理由が何処にあると云うのか。唐突だけれど島左近も登場、殿!生きなさい!と三成に叫び、敵陣に挑む姿や、大谷吉継の切腹なども描かれた。頑ななまでに清廉潔白ですべてに潔癖であるが故に生きることが難しい。現在、必要なのは石田三成のような政治家ですと真顔で言います。でもそんな政治家は霞ヶ関では生きてはいけないと云う事実も知っている。霞ヶ関合戦。
『天地人』終幕。
『坂の上の雲』に血滾る。またかまたNHKの言いなりか国営放送の犬になるのかわたしは。設定がドストライクなのでまたうざったく語るわよ。ここで。
『龍馬伝』時代は好きなのですが新鮮味に欠けるところがどうあたらしい物語として生まれてくるのかそこが肝。坂本龍馬をあつかった物語では、『竜馬におまかせ!』がだいすきでした。宝塚で描かれる竜馬もけっこう好きなんだ。
【天地人】
歴史の意義は過去の自分を知ること。自分がこの悠久のなかでは個の存在ではなく、すべてのなかに混沌と 存在していると云うことを知ること。私の骨も、あの人の骨も、この日本国の礎なのだと知ること。この小さな骨もいつか歴史になる。時間のながれをかんじるものが好きなのは、そう云う小さな骨の記憶がそこに在るから。人ひとりがいちどの生にもてる時間はどれくらいなのだろう。直江兼続の時間はあまりにもおもくてふかくて、果てしない、けれど、兼続だけが特別なのではなくて、死んだ者も、名もなき者も、もてる時間は等しく在るのだと、思う。兼続も三成も、雑兵も足軽も、すべての骨の記憶で、今、この国は在る。
最終章の福島正則の姿は衝撃でした。バカだから。三成が処刑されるときになってはじめて豊臣家を命をかけて想っていたのは三成であったことに気付き、最後の夜、月を肴に三成と盃を交わしたその姿はそのまま徳川の世になっても変わることなく、それ故に苦しむ。同じ想いを抱いていたのに、気付かなかった正則、ほんとバカ。バカだよお前。なんてかわいそうなバカなんだ。大阪の陣で家康に縋るも、お家大事なら逆らうな、と一蹴されるその姿はバカゆえに哀れでせつなかった。太閤殿下申し訳ありませぬ、西にむかって額を地にすりつける姿が天地人・福島正則の最後の姿でありました。
千姫は豊臣政権最期の星。武者姿で千姫に「生きよ!」と叱る茶々と秀頼は炎のなかに失えてゆく。幸村は千姫に豊臣のすべてを託し、彼女を井戸のなかに隠すと、荒狂う戦火のなかへとむかう。幸村からの遺言を受取った兼続は崩壊した大阪城の焼跡のなか、千姫を救出する。徳川家に戻った千姫は、家康の手を払いのけ、家康に激昂する。「私を救ってくれたのは直江兼続です!」「・・・いいえ、わたくしは千姫様を焼跡のなかから連れて参っただけ、千姫様を救ったのは、豊臣家の方々と、真田幸村です、」「わたくしは、おじいさまを生涯、許しません!」
天下を手に入れた家康、息子と孫の愛は得ることが出来なかったと、臨終につぶやく、しかし、家康はそれで満足であったのだろうなあ、と思う。最期の最期まで、なにが真実の言葉でほんとうの心の在処がどこに在るのか解らなかった家康。ここまで家康が得体の知れない怪人として描かれたものをはじめてみた。けれどこれが家康のまことの姿であったのではなかろうか。600年ものあいだ、世を支配した徳川家の始祖が常人であるわけがない。家康め、と人に憎ませる、それこそが家康に対する正当な評価だったのかもしれない、と、いま思う。やはり、侮れない爺さんだ。
あれを恋と言わずして何と言うのだろう。愛よりも清々しくこの世のものでないような、強く気貴い、星に運命られたふたり、景勝と兼続。主従でも兄弟でも恋人でもない、星と星のつながり、ふたりのあいだにあるものははるか時の彼方に在る何か。ふたりを飾る言葉は、まだこの世に生まれていないのではなかろうか。しっくりする言葉が見つかりません。
伊達政宗のツンデレは最期まですさまじかった。
関ヶ原物語では石田三成が主人公ジャック。私の三成への好意はKOEIの陰謀でも何でもない、好きにならないなんてうそ。誇りと生への執念がおなじ魂に存在している、その人を好きにならない理由が何処にあると云うのか。唐突だけれど島左近も登場、殿!生きなさい!と三成に叫び、敵陣に挑む姿や、大谷吉継の切腹なども描かれた。頑ななまでに清廉潔白ですべてに潔癖であるが故に生きることが難しい。現在、必要なのは石田三成のような政治家ですと真顔で言います。でもそんな政治家は霞ヶ関では生きてはいけないと云う事実も知っている。霞ヶ関合戦。
『天地人』終幕。
『坂の上の雲』に血滾る。またかまたNHKの言いなりか国営放送の犬になるのかわたしは。設定がドストライクなのでまたうざったく語るわよ。ここで。
『龍馬伝』時代は好きなのですが新鮮味に欠けるところがどうあたらしい物語として生まれてくるのかそこが肝。坂本龍馬をあつかった物語では、『竜馬におまかせ!』がだいすきでした。宝塚で描かれる竜馬もけっこう好きなんだ。
